【第三回】副島正紀【ナイーブな生っぽい関係性】

最初に見たPVが、白くて長細めな部屋の中でバンドが演奏していて、たまに別場面で猫の被り物をした人が踊る、という強烈なものでした。実際に初対面したのはそれから1年ほど経ってからで、威勢のいい挨拶と、鋭い眼光に萎縮しまくったことをよく覚えています。副島監督にインタビューしました。

  1. 勢い
  2. 変化
  3. 映像である訳
  4. 「やけど」のPVについて
  5. アイドルのPV
  6. 音楽
  7. やりたいこと

IMG_1792

※9月12日、新宿(珈琲西武と中華料理屋)でお話を伺いました。

1.勢い

カマクラ:映像っていうのは、撮り始めたのは・・・。

ソエジマ:映像はですね、大学3年の時に撮り始めて。その前に僕、バンドやってたんですよ。

カマクラ:あ、そうなんですね。

ソエジマ:下北の251とか、渋谷の屋根裏とか、いろいろなとこで。普通のギターロックバンドみたいなのとか、いろいろやってて。ただ、やりながら才能ねえなとずっと思ってて。

カマクラ:ふーん・・・。

ソエジマ:そう。高校生の頃からやってたんですけど、ギターを始めたのは中一とかなんだよ。

カマクラ:へー!!

ソエジマ:音楽、ずっとやってたんですけど、でも大学3年くらいになって、一気にモチベーションがなくなってしまって。辞めて、そこから違うことをやりたいなと思い始めて、それで全然やったことない映像をやってみようかなと思った。そっからです。

カマクラ:何かきっかけはあったんですか?

ソエジマ:映画が好きだったんです。大学に行く時に、音楽はどこでもやろうと思っていたから、映画学校に行くか、大学受けるか、かなり悩んでいたんだけど。まあ映像も自分で撮れるんじゃないかなと思って、大学へ。音楽と映像、どっちもやりたかったけど、音楽諦めたから映像だけやってる。

カマクラ:なるほど。

ソエジマ:大学の時、自主映画を撮り始めました。作り方わかんないから本買ってそこでいろいろカメラの使い方とか覚えて、いきなり撮り始めた。

カマクラ:それは映画なんですね。ミュージックビデオとかじゃなくて。

ソエジマ:映画です。映画を撮り始めたんですよ。長尺の、映画を撮ろうと思って、80分くらいのをいきなり撮り始めた。撮れるんじゃないかなと思ったんですけど・・・一応一年かけて全部撮ったんですよ。

カマクラ:一年かけて!

ソエジマ:今ミュージックビデオを手伝ってもらってる、ピロリーナさんもそん時から一緒にやってます。まあ、作ってみたけど、全然つまんなくて、才能ねえなと思って。まあ、はじめはそんな感じでした。うまくいくわけないんだよね、今思うと。いきなり80分の映画を撮ろうとしても。知らないからできた。

カマクラ:なるほど。でも、映像は辞めなかったんですね。

ソエジマ:そうだね。映像もまあ、大学時代からそこまでモチベーションもってやってたわけではなくて。なんか映像も撮れるよね、みたいな感じで、たまに友達に頼まれて撮ったりとか。映像編集したりとか、先輩の結婚式のムービー作ったりとか、サークルやってる人たちの勧誘動画を作ってくれとか。そういうレベルで。ちゃんと自分の思想を持って撮ろうと思ったのは、ホントに大学卒業する間際ぐらい。

カマクラ:へ〜!それは映画ですか?

ソエジマ:いや、それは入江君(入江陽:シンガーソングライター、映画音楽家)の、”ペコ”という曲のミュージックビデオ。

カマクラ:YouTubeで見れるやつですね。

ソエジマ:見れます一応。入江君のペコを撮った時は、ミュージックビデオを撮りませんかみたいなことを入江が言って、じゃあ撮ってみるかみたいな感じ。そこから続けていくうちに広がってきたかなって感じです。

カマクラ:それはまだ二人とも大学生?

ソエジマ:それはね、もう働いてたかもしれない。両方とも。彼は仕事辞めてたかもしれないけど。なんか大学生の頃より、普通に働き始めてから映像に向き合うっていう。3年くらい前かな。ダラダラやってましたよ・・・。まあでも全然違うからね、映画とミュージックビデオっていうのは。ちゃんとした映画なんて撮ったことないですけど、やっぱり今映画を撮ろうと準備してるのに比べたら、意識が全然低かった。ミュージックビデオは勢いでも撮れるし。まあ、カメラさえあれば勢いで撮れちゃう。助監督もいらないし。音声さんもいらないし。まあ、勢いで始めて、勢いでやってるって感じかな。

2.変化

カマクラ:作品がちょっとずつ変わっていってるじゃないですか。

ソエジマ:そうかもしれない。

カマクラ:それは作っててどうですかね。すごくざっくりした質問で・・・。

ソエジマ:いやいや、そうだね、何で変わってるかって結構僕もずっと考えてるんですけど、物語性をどんどん排除したい、みたいな。結構今までは、まあ今までって言ってもホント最近までそうなんですけど、下手したら入江君の最新の”やけど”までそうなんだけど、彼の曲に対して、こっちがどういう解釈をして、作るかっていうようなスタンスだったんですよ。ミュージシャンが、持ってる音楽の中で言いたいことがいろいろあるとするじゃないですか。その一部を切り抜いて、僕はこう解釈したよっていう、もしかしたら彼が言わんとしていることの外かもしれないけど、僕の解釈はこうだよっていう感じで作っていたんです。

カマクラ:そうなんですね。ミュージシャン側のこういう世界観ですっていう言葉よりは・・・。

ソエジマ:そう、もちろんミュージシャンからNGが出ることもあるよ。それはちょっと違うんじゃないかって言われる時。その辺は話し合って決めるんだけど。要はミュージシャンが作り上げた音源を僕が勝手に解釈するみたいな、そういったところがあって。それって結構、作家的な活動じゃないですか。要は、原作があって、それに僕が脚本を書いていくという形。企画があって、それに対して脚本を書くみたいな。

カマクラ:ふんふん・・・。

ソエジマ:例えば、海で二人の人間が出会うみたいな感じの曲だったら、僕がその二人のキャラクターを作っていく作業みたいな。でも、今思考が向いてるのはそうじゃなくて、ミュージシャンにある程度僕が制限を加えて、状況設定して、それに対してミュージシャンがどういうようなリアクションをするかっていうことに・・・。

カマクラ:それは違いますよね。今までのものとは。ミュージックビデオはまず曲がありますもんね。

ソエジマ:だから、何ていうのかな、フリースタイルというか、限定はしてるんだけど、ミュージシャンの自由度をもっと高めてリアクションを広げるみたいな。あんまり、筋書きがあるようでない。Controversial SparkってバンドのPVの撮影の時は、下北沢の駅周りで撮ったんですよ。曲が4分くらいで、曲が始まってからRECボタンを押して、曲が終わる4分くらいでRECを終了するみたいな。で、歩くルートだけ決めてもらって、あとを追いかけて、そこにいろんなミュージシャンを配置していて、2分くらい経ったらここへ来てください、3分経ったらここへ、みたいに指示をする。僕が時間をカウントして、あとは自由に演じてもらうというようなものでした。

ソエジマ:すごく大変なんだけど、こっちの方が面白いなって思う。そういう所が結構変わって来ているのかなという気持ちはあります。

3.映像である訳

カマクラ:なんで映像を選ばれたんでしょうか。

ソエジマ:けっこうそれ、僕も考えてるんですけど・・・元々は音楽だったんだろうなと思うんです。最初に手に取ったのはギターだし。ただ、音楽だと自分の作りたいものを作れないなってことに気付いたんです。手段が違ったと思ってる。もしかしたら本で書けたかもしれないし、絵で描けたかもしれないけど。いろいろ自分の中で得意なものを探して行った時に、わかりやすいのが映像かなと。まあ、映像だってできるか何とも言えないんだけど、映像は一番、手に取りやすかった道具だったのかなって思います。別に、映像じゃなきゃダメだとは今でも思ってないよ。

4.「やけど」のPVについて

カマクラ:入江さんのやけどのPVは特に印象が強いです。どのように制作されたんでしょうか。

ソエジマ:やけどの撮影はいろいろ準備があってしんどかったんですよ。かなりこだわって作りました。半年ぐらい時間をかけて。なんで時間がかかったかというと、入江がP-VINEからアルバムを出すって話がちょうど並行していた時期です。やけどという曲が先にあって大谷さん(大谷能生:音楽家・批評家)がトラックを作っているという段階までいっていたかははっきりとは覚えてない。俺は頭の中でこういう舞台でやりたい、というのはあったんだけど、まだCDがどういうような流通で、どこがレーベルになるかも決まってなかったから、ちゃんと決まってから作った方がNGがでないので。作ってからNGが出るというのは辛いから、どういうビデオにするかっていうのを半年くらいずっと話し合っていた。

カマクラ:なかなか動き出せなかったんですね。

ソエジマ:そう、で僕はひたすら横浜の中華街に出向いてロケハンだけをしてるっていう状態だった。だからそれなりに、ちゃんと舞台設定も作り上げているし、結果的に慎重に作ったものになった。PVなんだけど、制作期間は映画みたいな感じかな。半年以上かけてるから。あれは作ってよかったなと思ってます。

カマクラ:かっこいいですよね。

ソエジマ:OMSBさんが出てくれたこともあると思うんだけど、再生回数伸びてるし。ちゃんと作ると、ちゃんと見てくれるんだなって改めて思いました。いい転機だったと思う。

カマクラ:やけどはどういう所を特にこだわったんですか?

ソエジマ:恋する惑星って見たことある?ウォン・カーウァイっていう監督の映画。

カマクラ:いえ、見たことないです。

ソエジマ:僕も入江もすごく好きで、アジアの映画なんだけど。台湾の実際のホテルとかを使って撮影してる映画で、アジアの熱気みたいなものがすごく良くて。やけどのPVにもそういうものを入れたいなと。入江と曲に関してかなり話し合っていたんだけど、僕はあの歌詞を読んだ時に、今いる地点からもう少し先にあるものを掴もうとする・・・、例えば、アイドルに憧れる女子高生でもいいんだけど、失うものがあるかもしれないけど、何か掴もうとする。入江だったら仕事辞めて何か掴もうとしたみたいな。その熱気をやけどって呼ぶんじゃないかなって解釈した感じだった。

カマクラ:うんうん・・・。

ソエジマ:でも、それをPVにすると、けっこうわかりやすいステレオタイプになるよね。

カマクラ:そうなんですか。どういうことですか?

ソエジマ:要は上京物語、地方を捨てて夢の町にいく、みたいなエモーショナルなものになってしまう心配があって、入江君って結構斜に構えてるでしょ。すごくはぐらかすじゃない。そのはぐらかしを、どう映像に表現したらいいのかって考えて。そういった時に、ストレートなサクセスストーリーを描いて、成功するようなものを描くんじゃなくて、やけどしたくてもやけどできない、みたいなものを描いた方が面白いんじゃないかなと思った。それをわかりやすくしようと思ったのは、人種的な壁とか、経済的な格差とか、そういったものをテーマにしようと思ったんだよね。

カマクラ:なるほど・・・。

ソエジマ:やけどしたくてもやけどできない人を描こうと思って。例えば入江君はやけどできる人だと思ってるんですよ。

カマクラ:やけどできる人。

ソエジマ:仕事を辞めて、彼は音楽っていう選択肢を体裁を無視すれば意志の力で手にすることができるじゃない。仕事を辞めて、音楽一本でやると決めれば、実現できる夢。しかし、あのやけどのPVに出てくる主人公の女の子いるじゃないですか。

カマクラ:はい。

ソエジマ:あの女の子って実は日本人じゃないっていう設定で、アジアっぽい感じの人。アジアに生きる、ちょっと金のない、大学でてサラリーマンになってみたいな人生ではなく、要は何もできない。中華料理屋でバイトしてるアジアの小娘って感じなんだけど、あの子はニューヨークに憧れてるって設定なんです。これはそうとう注意して見ないとわからないけど、あの子が映るシーンで、鏡越しに自由の女神とか、ちらっと見えたりする。あと彼女、飛行機持ってるじゃない。

カマクラ:イントロ部分で映りますね。

ソエジマ:彼女は、ニューヨークに行きたいっていう漠然とした夢があるんです。だけど、オモチャの飛行機を持ってて、飛びたいって希望はあるんだけど実際は飛べない。お金がなくて。ここじゃないキラキラしたどこかへ飛び立ちたいと思ってるっていうわかりやすいアイコンなんです。

カマクラ:なるほど〜・・・。

ソエジマ:ただあの子は実際は中華料理屋で働いてて、店主に怒られる日々。結局半径50センチの世界で生きてるっていう。最後のシーンでは自由の女神が背景に映るんだけど。

カマクラ:あ、そうですね。終わり近くにバックに映りますね。

ソエジマ:あれは横浜にあるラブホテルなんです。彼女にとってのニューヨークは結局行くことはできなくて、ラブホテルの自由の女神・・・つまりレプリカに最終的にたどり着く。本物にたどり着くことはできないっていうか。やけどはできない人。

カマクラ:ちょっと悲しいですね。

ソエジマ:それを、横浜横須賀って街の中で、入江陽やOMSBさんが、共有してる。一つの夜を慰めてるじゃないけど、なんだろう、みんなで一つの夜を過ごしているっていう。そんな話なんですよ。切ないんだけど、それがやけどの本質なんじゃないかなと思う。普通、人はやけどできないじゃないですか。

カマクラ:なかなかできないですよね。

ソエジマ:入江君みたいに、できちゃう人はいるけど、みんな音楽やりたいなと思いながら就職したり、僕は働きながら映像撮ってるし。どっちが正しいって話ではないんだけど、そういう一歩を踏み出せる人って少ないと思う。踏み出せない人、状況的に難しい人っていうのを映像で表現したのかなって思います。

カマクラ:なるほど・・・。

ソエジマ:あのPV、パッと見、暗いシーンが多いじゃないですか。

カマクラ:自販機の前で歌ってるとことか。

ソエジマ:あと、OMSBさんのラップが終わったあとに、真っ暗なとこあるじゃん。団地みたいなところ。あそこ超怒られたんだけど(笑)。

カマクラ:怒られたんですか。

ソエジマ:住人にくそ怒られた。まあそれは置いといて・・・全体的に暗いんだけど、何か掴み取ろうとしてる人。っていうのを撮りたかったかな。曲自身がもつ、本質というか、曲の言わんとしてることを入江と一緒に二人とも穴掘りながら探そうとしてる期間だった。あんだけ時間かけてってのはあまりないから。それがちゃんと再生されてるのは嬉しいです。

カマクラ:よかったですね。

ソエジマ;鎌倉は2日くらいで考えて撮ったからね。それでもいいんだけど。そう考えたら、ちゃんと撮ったPVかなって思うよ。

5.アイドルのPV

カマクラ:アイドルのPVを撮ってるんですよね。

ソエジマ:そうそう、アイドルのPVとかを撮っていると、女の子を可愛く撮るのが苦手だなと感じるかも。

カマクラ:それは何でですかね?

ソエジマ:ちゃんとはわからないけど、可愛いと思うポイントがずれてるんだと思うんです。可愛い女の子が崩れるところとかが好きで。

カマクラ:崩れるっていうのは体勢が崩れるってことですか?

ソエジマ:いや、顔が崩れるところ。クシャッとなる時というか。腹から笑ってる時とか。そういうの可愛いなと思っちゃう。だから僕がカットを選ぶと、他の人に見せると”これは悪意がありますよ〜”と言われてしまったり。そういうのを選んじゃう。僕は可愛いと思ってるんだけどね。

カマクラ:なるほど・・・。

ソエジマ:最近撮ったアイドルの話をすると、Peach sugar snowっていう山梨ご当地アイドルのPVを撮りました。彼女たちはタワレコの新しいレーベル(youthsource records)の立ち上げの際にそのレーベルからCDを出したアイドル。どう撮っていいのか、中々わからなかったな。

カマクラ:男を撮るより、女の人を撮る方が難しいってことでしょうか。

ソエジマ;うーん、難しくはないんだけど、みんなが欲しい映像は撮れないかなっていう。僕が解釈して撮っていいならいくらでも撮っていいんだけど。

カマクラ:それが周りとずれてるかもしれないってことですよね。

ソエジマ:実際にオファーをもらっても、断ってるものもあって。だから、あなたが欲しいものが撮れるかはわからないけど、それでもいいなら撮りますよ、ということかな。今までの僕の作ったものを見てくれて、本当に撮って欲しいと思ってるのかってことをちゃんと確認しないと。

カマクラ:それくらい強気というか、フラットに構えるのはとてもいいことだなと思います。

ソエジマ:いいお話をもらって、やろうと思った時にも、既に脚本があって、それがとてもさわやかな話だっていう風に聞いた時・・・実際都合が合わなくてそれは撮れなかったんだけど、僕が撮って果たしていいものになったか疑問だったな。

6.音楽

カマクラ:音楽に絡む映像を撮っていくのはこれからも・・・。

ソエジマ:そうだね。なぜなら音楽の力を信じてるからね!

カマクラ:かっこいい!それは重要ですね。

ソエジマ:音楽ってだって、理屈抜きに普遍的によかったりするじゃん。

カマクラ:ずっと前からありますもんね。

ソエジマ:僕がはっきり音楽の普遍的なパワーを感じたのは、日本のthe pillowsってバンドで。

カマクラ:ピロウズか〜。

ソエジマ:聞いてやべえってなって、そこからずっといろいろ聞いていて。また新しい転換があったのはクラッシュ。

カマクラ:昔のバンドですね。

ソエジマ:そうだね、ロンドンパンク。現状の体制を打ち負かそうとするパワーみたいなものとか、アンチソーシャルみたいな意思があるじゃない。アンチソーシャルなんだけど、この人たちはちゃんとイデオロギーを持ってるなと思って。こんな風に社会と戦う方法があるんだと知った時に、音楽の持つ普遍的な力みたいなものを感じて、それが好きだったから音楽やってたし。

カマクラ:ふんふん・・・。

ソエジマ:映像をやりながらも、僕は音楽の方が直接的だと思うんだよね。単純にアドレナリンが出る時間が長いかなっていう。60分のライブがもしあったとして、その中の20分すごくやべぇみたいな、こんな気持ちいいのないってなる。映画だと、見終わった後もやばいなとか、ある種の読了感みたいなものはあるけど、それってじわ〜っていうか。アドレナリンって感じではないよね。動物の持ってる根源的なものっていうか。ビートでぶち上がるとか。なんで俺、こんなに感動してるんだろうって思ったり。感動して、拳を突き上げてる自分がいたりするわけ。

カマクラ:けっこう、衝動的な部分ですよね。

ソエジマ:そうだね。映画ってのは文脈があるから感動したりするわけじゃん。今までの伏線があって、乾燥する。

カマクラ:じわっと。

ソエジマ:そういうのが映画の持つ力ではあると思うんだけど、僕はそこまで映画を解釈する力はなくて、その次元までいってないと思うんだけど、音楽はそれ以前というか。なんかわかんないけど、やべぇやつが4人ステージに立ってて、やばい曲をやってて、アドレナリンがでる〜みたいな。曲も歌詞もわかんないけど、感動して泣くってあるじゃん。

カマクラ:めちゃありますね!何に感動してるかわからなけど、やられるっていう時。

ソエジマ:なんなら、こいつ嫌いなのに、なんか泣いちゃってるみたいな。そういうのが、音楽の持つ力だと思うな〜。

7.やりたいこと

カマクラ:これから特にやっていきたいことを聞きたいです。

ソエジマ:ミュージックビデオかもしれないし、映画かもしれないけど、どちらかというとすごく実験的な映像を撮っていきたいって思うかな。さっき少し触れたけど、今まではずっと、脚本を書いてやっていたけど、もっと映像作家と音楽家っていう、ナイーブな生っぽい関係性をもって、作品を作っていきたいと思います。ミュージシャンが、自分の作った映像にタレント的に出てくれるっていう作品とか、ミュージシャンのために作る作品とかではなくて、ミュージシャンと映像作家が対等な地平のなかで、お互いの問題提起をしあうというか。

カマクラ:なるほど。

ソエジマ:だから、ドキュメンタリックな手法になるのかなと思うよ。

カマクラ;ただ、一般的なドキュメンタリーではないですね。

ソエジマ:そうだね。一般的なドキュメンタリーはミュージシャンのものだから。そういうのじゃないのかなって思う。松江哲明監督の「ライブテープ」とか、「トーキョードリフター」とか、最近で言うと三宅唱監督の「THE COCKPIT」とか。今言った作品みたいなものが、僕のやりたかったことだったんだろうなと思います。そういうジャンルを自分で切り開いていきたいなと思う。ここ2ヶ月くらいで思ったことだけどね。

カマクラ:おお、最近ですね。

ソエジマ:うん、それが一番興味あるかな・・・。ドキュメンタリーってどういう風に定義しようかなってずっと考えていて。撮る人間の影響を、撮られる側に与えてしまうじゃないですか。

カマクラ:そうですね、どうしても意識してしまう。

ソエジマ:いつものその人じゃなくなる。だから如何に意識させないかってところで、結局、演出が入ったその人になってしまうんだよね。

カマクラ:どれだけこっそり撮ったとしても・・・。

ソエジマ:完全に、隠しカメラで撮らない限りは、演出が入ってしまう。そもそもドキュメンタリーは、ちゃんと時間設定があった上で撮っていくもので、そうしないと映画にならない。僕は、できるだけ、その演出を少なくしたいというか。演者が見えないカメラで撮っていても、映画にはならないとも思うし。できるだけ自然に撮ろうっていう、観察映画っていうんだけど、それに対しては懐疑的なんです。

カマクラ:どう懐疑的なんですか?

ソエジマ:カメラをより見せない方向にいく映画というか、より自然な演技をさせようとする姿勢にたいして。

カマクラ:その姿勢に懐疑的なんですね。

ソエジマ:だって、カメラはあるじゃんっていう。カメラがある限り、人は絶対自然にはならない。監督が、こっからここを撮ろうってカメラを置いて、ずっと何もしないで観察してるだけって言ったって、カメラはあるわけだし、時間も決まってるだけだから。面白いかもしれないけど、僕はその手法は出発点が違うんじゃないかなって思ってます。

カマクラ:はい。

ソエジマ:だったら、カメラも置いて、場所も与えて、こういう実験っていうのを相手に見せようって思う。こういう実験をするんですよ、と。撮られる側は、それを聞いた上で、カメラを意識しながらどう振る舞うか考える。ただ、そのリアクションっていうのは、絶対に生のものだからね。手法としてはドキュメンタリーなんだけど、すごく実験的というか。結果的には演出の度合いのある映像を撮ろうと思ってます。

※副島監督はインタビュー時、謝礼が出ずに飯代は出る、ということを聞くと、陳麻飯と担々麺を一人前ずつ平らげてお帰りになりました。

副島正紀

映像作家、精神科医

Twitter:https://twitter.com/soemas

blog:昏迷する猫、瞑想し ~純粋音楽映画批判~

B.M.F official site